今年ドハマりしたNulbarichというアーティストが私に与えた変化

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Guess Who?

 

最近よく音楽を聴く。

 社会人になって、音楽を聴くことから遠ざかってたけど、最近よく聴いている。

 

ギタリストでもなければ、ドラマーでもない。ピアノも全然弾けないし、音楽に対して豊かな経験や深い知識があるわけでもない。

 

中学生の時に、周りと同じように、テレビで唄うアーティストに心を打たれ、周りと同じように好きなアーティストの曲を聴き始めた。

 

私が成長する過程には、やはり多くの人がそうであるように、音楽がそばにあって様々な曲に励まされたり、癒されたりしてきた。

 

音楽の好みは、超ド定番のものばかり。

 

「ド定番」という、定番の中の定番を表すワードにさらに超をつける。音楽の好みに関する自己評価が、どれほど平凡かわかるだろう。

 

好きなアーティストといえばミスチル、B'z、YUKI。

 だれもが知っているアーティストばかり。

 

そんな超平凡な自分が、好きになる曲とはどんなものか。

 

それにはある共通点がある。

 

 

「歌詞がいい」

 

 

恥ずかしいほどに、ありきたりで陳腐な理由。

 

「歌詞がいい」とはどういうことなのか。

 

それは、歌詞の中に自分を見つけるということである。

 

 

自分しか知らないであろう、いや自分ですらもうまく表現できていないこの感情を、歌詞の中に見つける。

 

そして、思う。

 

 

 

このアーティストは私のことを歌っているに違いない、と。

 

 

 

そんなはずないと分かっているが、恐る恐るもう一度聴き、やはり認識する。

 

 

 

このアーティストは私のことを歌っているに違いない、と。

 

 

 

そのときその曲を好きになって、その曲を作ったアーティストを好きになる。

 

そういった経験を繰り返すうちに、私の中では

 

「いい曲」=「歌詞がいい」

 

という絶対的な定理が出来上がり、この定理だけが凡夫な私の音楽の好みを決定していった。

 

歌詞に共感することが出来るか、出来ないか。

 

自分しか知らないであろう感情を歌詞の中に見つけることが出来るか、出来ないか。

 

歌詞の中に私がいるか、いないか。

 

どんなに売れている曲も、歌詞がよく理解できなかったり、共感できなかったりすると

 

おいおい、歌詞はどうした?どこにも私を見つけられないじゃないか。

 

おまけに何を言っているかわからない。小手先のテクニックに走っても、私の心には響かないぞ。

 

いつしか自分の作り上げた定理の上にあぐらをかいて、音楽を聴いていた。

 

そして、昔の曲はもっと良かった、などと感じ始め、勝手に音楽を聴くこと自体から遠のいてしまっていた。

 

しかし、今年この絶対不可侵、完全無欠の定理をゆるがすアーティストに偶然出会った。

 

 

それが、Nulbarich。

 

Nulbarichとは

“シンガーソングライターJQがプロデュースするバンド。

親交の深い仲間と共に、スタイル・シチュエーションなどに応じたベストなサウンドを創り出す。

ファンク、アシッド・ジャズなどのブラックミュージックをベースに、ポップス、ロックなどにもインスパイアされたサウンドは、国内外のフィールドで唯一無二のグルーヴを奏でる。

Nulbarich(ナルバリッチ) という名前には、

Null (ゼロ、形なく限りなく無の状態)

but (しかし)

Rich (裕福、満たされている)

から作られた造語であり、形あるものが全てではなく、形の無いもの(SOUL、思いやりや優しさ含めた全ての愛、思想、行動、感情)で満たされている「何も無いけど満たされている」という意味が込められている “ 

 

引用元: Nulbarich official site

 

 

 初めてNulbarichの曲を聴いたとき、歌詞の3割も聴き取れなかった。

 

当然、曲のストーリー性を想像することもできず、感情移入はおろか、共感することもできない。

 

これまで私の音楽の好みを決定していた定理に従うならば、このアーティストがお気に入りになることは確実にない。

 

 

しかし、しばらくして異変に気づく。

 

心地よいメロディを、無意識に口ずさんでいる。

 

なんなら、ゆらゆらと体が揺らし、リズムに乗ろうとしている気さえする。

 

こんな感覚はこれまでにない。

 

 

歌詞だ。歌詞の中に私を探すのだ。

 

なにやら無意識に異変を察知した私の定理が、語りかけてくる。

 

そうだ。

 

歌詞の中に私を見つけることさえできれば、私は私の定理によって、このアーティストを好きになる。

 

これまで何組ものアーティストを好きになってきた時と同じように。

なんの疑いもなく。

定理に従って。

 

 

しかし、どこを探してもNulbarichの歌詞に私を見つけることが出来ない。

 

 

Nulbarichは私のことなど歌っていない。

 

 

NulbarichはNulbarichの音楽を奏でている。

 

 

この時私は、これまで私の音楽の嗜好の根幹を支えていた定理が、音を立てて崩れていくのを感じた。

 

 

一方で、一度身にまとったNulbarichのメロディは簡単に私を離してはくれない。

 

 

不思議と、いや当然のように何度となく押されるリピートボタン。

 

 

歌詞が私の精神に作用しているとすれば、メロディは私の肉体に作用する。

 

グルーヴ。

 

これがおそらくグルーヴ。

 

正確な意味は知らない。

でもきっとこれこそがgrooveだ。

 

 

 

 

 

それからしばらくして、ふとした会話の中で感じるのである。

 

「この曲、歌詞がいいから好き」などとのたまう輩に対して。

 

(早く君もこっち側に、来い)と。

 

 

そんなクールで、ハイセンスなメロディ聴いてみませんか?

 

「NEW ERA」


Nulbarich - NEW ERA (Official Music Video)

 

「ain't on the map yet」


Nulbarich – ain't on the map yet (Official Music Video)

 

「It's Who We Are」 


Nulbarich - It's Who We Are (Official Music Video) [Radio Edit]

 

「VOICE」 


Nulbarich – VOICE (Official Music Video)